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オットー3世 (下バイエルン公) : ミニ英和和英辞書
オットー3世 (下バイエルン公)[こう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [した, もと]
 (adv) under (esp. influence or guidance)
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

オットー3世 (下バイエルン公) ( リダイレクト:オットー3世 (バイエルン公) ) : ウィキペディア日本語版
オットー3世 (バイエルン公)[おっとー3せい]

オットー3世(Otto III, 1261年2月11日ブルクハウゼン - 1312年9月9日ランツフート)は、ヴィッテルスバッハ家下バイエルン公(在位:1290年 - 1312年)、ハンガリー王(オットー、Ottó, 在位:1305年 - 1307年)。下バイエルン公ハインリヒ13世の長男。母はハンガリー王ベーラ4世の娘エルジェーベト(エリーザベト)。
1290年に2人の弟ルートヴィヒ3世シュテファン1世と共に公位を継承した(弟達は共にオットー3世に先立って死去している)。オットー3世はハプスブルク家ドイツ王アルブレヒト1世に対抗して、1180年に失ったシュタイアーマルクの奪還に挑んだ。男系が断絶したアールパード朝の血を引くことからハンガリー王即位の要請を1301年に受けていたが、1305年にようやく受諾した。オーストリアやハンガリーの情勢と関わることで、オットー3世のバイエルンでの地位は弱体化し、最終的には財政問題でつまづいた。オットー3世はハンガリー史上では1301年から1310年までの空位時代の対立王とされる。
下バイエルンはオットー3世から息子ハインリヒ15世、及びシュテファン1世の息子ハインリヒ14世オットー4世に継承された。ハインリヒ14世の息子ヨハン1世は最後の下バイエルン公となり、上バイエルン公から神聖ローマ皇帝となったルートヴィヒ4世によってバイエルンは一旦統合された。
== 子女 ==
1279年ドイツ王ルドルフ1世の娘カタリーナと結婚したが1282年に死別。彼女との間に生まれた双子も夭折した。
#ルドルフ(1280年)
#ハインリヒ(1280年)
1309年グウォグフ公ヘンリク3世の娘アグニェシュカと再婚、2人の子を儲けた。
#アグネス(1310年 - 1360年) - オルデンブルク伯ハインリヒ4世と結婚
#ハインリヒ15世(1312年 - 1333年)




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オットー3世 (バイエルン公)」の詳細全文を読む




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